2013-11-20 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第16号
秘密保全等のプロジェクトチームでありますけれども、そのPTの座長をお務めになられました町村信孝先生を私は大変尊敬しておりますと同時に、町村先生のお父様、御父君は、先生方よく御存じのとおり、町村金五先生とおっしゃって、旧内務省にお勤めになられ、北海道の知事もお務めになられ、そして第五十三代警視総監もお務めになられたということであります。
秘密保全等のプロジェクトチームでありますけれども、そのPTの座長をお務めになられました町村信孝先生を私は大変尊敬しておりますと同時に、町村先生のお父様、御父君は、先生方よく御存じのとおり、町村金五先生とおっしゃって、旧内務省にお勤めになられ、北海道の知事もお務めになられ、そして第五十三代警視総監もお務めになられたということであります。
其の時は、参議院自民党議員会長であった父、町村金五は、政治の世界は厳しいものだと言って、私の政界入りには強く反対しておりました。しかし、私が一年半の準備期間を経て初当選出来た時、最も喜んでくれたのも父でありました。 初当選の夜、父から「国会議員しか出来ない分野の仕事、即ち、外交、防衛、教育、治安に目を向けて勉強して行ったらどうか」との助言をもらいました。
北海道の数多くの方々が亡くなられた北霊の碑という大変小さな碑がありまして、そこに、当時知事でありました北海道知事町村金五とともにお参りをしに行った記憶がございます。
個人的なことをちょっと申し上げれば、私は、この世界に、政治の世界に入るときに、御尊父の町村金五先生に御相談を申し上げたことがございます。そのときに、北海道で政治をやりたいと申し上げたら、大いに頑張ってくれと御指導をいただきました。そんな意味で、町村外務大臣とは同じ北海道ということもあり、大いに外務大臣として期待を申し上げております。
大臣のお父上、町村金五先生が北海道の知事をやっておられた昭和三十五年、うちの二風谷で生活館が欲しい、そういうことをお願いに行ったら、本当に二つ返事で大きな生活館をつくってくれたわけであります。そして、そのときに一緒に、アイヌたちが、私をも含めてですけれども粗末な家にいた。何とか暖かい家に入るようにということで、町営住宅というか、そういうのを建てるための補助金をたくさんつけてくれた。
大臣閣下の父上(町村金五先生)の求められた「志」であったのではないでしょうか。何とかして、「志」も抱かずに暗記に狂奔するような試験方法から生徒、学生を外してやる必要があると思います。 これが世界に通用し、世界を感銘させる知恵を生むのではないでしょうか。 こういう呼びかけでありますが、大臣はこれに対してどのようにお答えになるつもりなのか、改めて教育改革にかける大臣の決意を伺いたいと思います。
○児玉委員 そして、昭和四十九年三月ですが、北海道開発庁の長官をされていた町村金五さん、町村さんの政治的な経歴や御意見について私はさまざまな意見を持っておりますが、町村国務大臣が国会において次のように答弁をしております。「北海道は、開道百年前には、わずかに人口は、いわゆる和人、内地の人は数万にすぎなかった。」
ただ、やはり昭和五十七年四月二十七日、党三役、当時の二階堂幹事長あるいは田中龍夫総務会長あるいは田中六助政務調査会長、そして参議院の議員会長であり、当時道連会長であった町村金五先生、四人が覚書で百億積む、これはきちっともう公の文書で外へ出ているのですね。これを地元の人はストレートに受けとめているのです。
○国務大臣(竹下登君) これは町村金五先生がございますから、五十八年度予算を編成しますときに大臣折衝で総務長官と私との意見がなかなか折り合いませんでしたので、したがって、「この場合の改定率は、原則として昭和五十七年度において見送ることとした給与改定率を下回らない率とする。」
○町村金五君 はなはだ僣越ではございますが、慣例によりまして、私が年長のゆえをもちまして、来る七月九日をもって任期を満了する議員を代表し、一言ごあいさつを申し上げます。 ただいまは、議長からわれわれに対し御丁重なごあいさつをいただき、まことに感謝にたえません。
初村滝一郎君 鳩山威一郎君 林 寛子君 原 文兵衛君 桧垣徳太郎君 平井 卓志君 福岡日出麿君 福島 茂夫君 福田 宏一君 藤井 孝男君 藤田 正明君 降矢 敬雄君 堀内 俊夫君 堀江 正夫君 前田 勲男君 増岡 康治君 増田 盛君 町村 金
原 文兵衛君 桧垣徳太郎君 平井 卓志君 福岡日出麿君 福島 茂夫君 福田 宏一君 藤井 孝男君 藤井 裕久君 藤田 正明君 降矢 敬義君 降矢 敬雄君 堀内 俊夫君 堀江 正夫君 真鍋 賢二君 前田 勲男君 増岡 康治君 増田 盛君 町村 金
増田 盛君 理 事 安孫子藤吉君 福田 宏一君 松前 達郎君 渋谷 邦彦君 委 員 稲嶺 一郎君 夏目 忠雄君 鳩山威一郎君 町村 金
福田 宏一君 松前 達郎君 渋谷 邦彦君 委 員 稲嶺 一郎君 熊谷 弘君 夏目 忠雄君 鳩山威一郎君 前田 勲男君 町村 金
○町村金五君 お許しをいただきまして、私は、議員一同を代表し、ただいま永年在職のゆえをもって表彰せられました小柳勇君に対し、一言お祝いの言葉を申し述べます。 小柳勇君は、昭和三十三年参議院福岡地方区補欠選挙に当選され、自来四たびの通常選挙において選挙民の強い支持を得て当選を果たされ、今日まで二十五年の長きにわたり、本院議員として御活躍をされてまいりました。
理 事 松前 達郎君 理 事 渋谷 邦彦君 稲嶺 一郎君 大石 武一君 大鷹 淑子君 夏目 忠雄君 鳩山威一郎君 細川 護熈君 町村 金
理 事 松前 達郎君 理 事 渋谷 邦彦君 安孫子藤吉君 大鷹 淑子君 中山 太郎君 夏目 忠雄君 秦野 章君 細川 護煕君 町村 金
私のつたない本の中にも町村金五案というのが載っております。ですから、唐突に出たわけでは全くありません。それは当然のことなので、たとえばマルクスの思想というのはリカルドの思想の発展の上にのみ成り立ったのであって、いま私たちが取り扱っておる問題も、先輩の思想の上に成り立っているわけですから、決して唐突ではございませんのです。
それで、金丸先生がタッチされる前の話ですが、昨日もずっとその経過をいろいろお尋ねして、私の方からも申し上げたのですが、いわゆる中西案と町村金五さんがプロジェクトチームの座長をしておられたときにおまとめになった報告、この中には定数是正が盛り込まれておったのですね。それが、一票制と二票制が出されてきた。そうしたら、その段階からこの定数是正というのが抜けてしまっておるわけなんです。
これは後でも出てまいりますが、町村金五さんが座長をしておられたプロジェクトチームでおつくりになったその案をもとにしておられるようですが、時間がありませんから私の方から申し上げますが、そうか、そうでないか、お答えいただきたいと思うのです。